宿場探訪サイクリング

主に東日本の街道沿いの宿場を探訪し、浮世絵に描かれた地点探しもしています。ロードバイクでトロトロとうろついて写真を撮っています。

回想(3) 昭和41年 欧州縦断の壮大な夢

 箱根サイクリングの判断ミス・連携ミスにより、その後気分は謹慎状態になっていた。
あれ以来自転車で遠乗りするのは多摩湖・多摩川・戸田・羽田空港・浦安くらいで、部屋では次の大胆な計画を練っていた。ユースホステルを利用しての北欧をサイクリングをした人の本を読んで刺激を受け、夢がどんどん大きくなっていったからだ。白夜を経験したい。フィヨルドも見たい。運よくオーロラが見えたらいいな。多くの国に行って多くの人に接したい。
 新宿⇒(鉄道)⇒新潟⇒(フェリー)⇒ナホトカ⇒(鉄道)⇒ウラジオ⇒(鉄道)⇒モスクワ⇒(飛行機)⇒オスロ。ここから平坦なデンマーク・オランダ・ベルギー・ドイツ・フランス・イタリアのコースと、アルプス越えのデンマーク・ドイツ・スイス・イタリアの2コースを考えていた。ソ連(現ロシア)の横断鉄道7日に加えて、モスクワで1泊しないと国外に出られない。家を出発して10日しないとオスロに行けない。当時航空運賃は目が飛び出るほど高価で、それが半端じゃない。当時大学初任給がやっと3万円に達するかどうかの時に、ヨーロッパへの片道航空運賃が10万円超えではなかっただろうか。1ドル360円の固定相場の時代である。往復すれば年収分を吐き出すくらいだったかもしれない。大陸鉄道がかなり安上がりなことは覚えている。ただし、10日間の食事30食分はばかにならないとは思っていた。旅費を考えると先に進まないので、そんなこと関係なく計画を続けていた。各国のユースホステルの所在地・電話番号・宿泊料金も調べた。どうしても途中で野宿が必要になるのでテント持参か。電話番号を知っていても言葉の問題があるし、現地での資金調達にも問題がある。クレジットカード1枚あればという時代ではないし、未成年が持てるわけがない。札束をポケットにサイクリング? この問題も脇において計画を続けた。
 


 

 当然親に反対されて、暫くの間、頭の中で懸命にサイクリングをしていた。 


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