宿場探訪サイクリング

主に東日本の街道沿いの宿場を探訪し、浮世絵に描かれた地点探しもしています。ロードバイクでトロトロとうろついて写真を撮っています。

東海道浮世絵地点探し(2)  掛川宿から三島宿

 広重の描いた東海道五十三次の浮世絵は3種類のシリーズがあり、保永堂版・行書版・隷書版それぞれ視点が異なり、絵も違います。よく知られているのは保永堂版です。きちんと調べてから宿場巡りをすれば、撮影地点探しが大変だけどもっと楽しかったと思いますが、今回は都市化や植生の変化や時間の無駄遣いで見つけるのが大変でした。
なお浮世絵の出典はすべてWikipediaから借用したものです。


26. 「掛川 秋葉山遠望」
 
 掛川宿の手前の塩井川に掛かる橋の上を、秋葉詣の旅人と修験者がすれ違う場面が描かれています。火橋の手前に描かれている二本の常夜灯は、秋葉山の入り口を示しています。

 塩井川が分からず知らないうちに通り過ぎてしまったようです。


25. 「日坂 佐夜の中山」
   
 道の中央にある大石は、日坂の夜泣き石として知られています。かつて、臨月の女性がここで山賊に殺され、その時赤子を産み落としました。女性の霊魂は子供を慕い、この石に乗り移って夜毎に泣き声を上げた、という伝承があります。薄暗い山道を往来する旅人の様子が巧みに配置されています。

 現在は“夜泣き石”は坂の上(中山峠より日坂寄り)にあります。ひょっとしてイメージで坂下に描いたのかもしれません。広重のことだから。この急勾配の坂を正面から撮ればもっと雰囲気が出たかもしれませんが、頭が回りませんでした。すでにヨレヨレでした。


 日坂の中山峠越えにてこずり、藤枝でWs氏との待ち合わせに間に合わなくなりそうで、ここから輪行です。


24. 「金谷 大井川遠岸」 と 23. 「嶋田 大井川駿岸」
この2ヶ所はいつか補完走行。


22. 「藤枝 人馬継立」
 
当時、輸送される荷物は何度も馬を変え人を変えて輸送されていました。人足の数を点検したり、馬の背に荷物を積み替えたり、早朝のあわただしい宿駅の様子が生き生きと描かれています。人馬を画面左から右上に斜めに配置し、人家や奥の木々も遠くに見えるよう道沿いに斜めに配した作画には、平面的にならない工夫がみられます。


21. 「岡部 宇津の山」
       
 宇津ノ谷峠は、蔦の生い茂った杉の山が迫り、昼でも暗い細道は心細い。両側から迫る山すその圧迫感を濃い草色で埋めた色調、湾曲した道と、その脇を清流が走る構図は、距離感を増し、絵の完成度を高めています。

                     

宇津ノ谷峠の急な崖と宇津ノ谷集落の道と清流をイメージで組み合わせたのでしょうか。
清流が街道の右側にあるのは、明らかに振り返った絵になります。
五十三次の浮世絵はほとんどが京師に向かう方向が描かれていますが、右手・左手・振り返りを描いたものは10枚弱あります。     


20. 「丸子(鞠子) 名物茶店」

      
「名物とろろ汁」の立て看板を出した有名な鞠子の茶店の風景。とろろ汁は、自然薯(じねんじょ)をすって味付けを加えたもので、ご飯にかけたりして食べます。滋養のある食べ物として人気がありました。茶店前の梅がほころび、のんびりとした春の気分を醸し出しているのは、明るい薄紅色で占められた空間処理の巧みさにあるようです。

1590年創業の“丁子屋”は茶店で始まり、1970年に移築されたものです。


19. 「府中 安部川」
   駿府とも呼ばれ、家康が晩年を過ごした所です。静岡・山梨の県境の安倍峠に源を発し、駿河湾へと注ぐ安部川を渡る旅人の様子を克明に描いています。駕籠に乗った女性、肩車で渡る人、荷をつけた馬を引く人足などを丹念に描き分けています。 近くには名物のあべ川餅の店が軒を連ねていたといわれています。
右端には安倍川橋があり背後の景色が全く見えないので、あえて下流方面に向けました。今年は水量が極端に少ないようです。


強行日程なのに話しこむことが多く、ここからまた輪行。ホテルを予約していると面倒です。
18. 「江尻 三保遠望」  17. 「奥津(興津) 興津川」
16. 「由井(由比) 薩埵嶺」  15. 「蒲原 夜の雪」
 ここまで輪行のため補完走行することになります。


14. 「吉原 左富士」7-13
   

 東海道を西に向かうと、富士は常に右手に見えます。ところが吉原の宿への道は、大きく湾曲していたため、富士が左側に見えることが珍しく、話題の場所になっていました。富士を眺めながら、松並木を馬でのんびりと行く親子連れの楽しげな様子が画面に見て取れます。カラフルな配色もこの絵を暖かくしています。
 空が霞んでいて正面(街道の左)に大きく見える富士山がはっきりしないのが残念です。江戸から来れば一時的に北北東に進むことになり、唯一(全く別の所にもあるようなので調査中)街道の左前方に富士山が見える場所になります。


13. 「原 朝の富士」
   

 原の宿を出てまもなく、湿地帯のような浮島ヶ原が広がります。ここから見る富士は、巨大で均整のとれた優美な姿をしています。山頂は画面からはみ出し、その高さを強調しています。旅人が足を止め、振り返って眺めたほどの去りがたい風景です。鍋鶴が田圃におりて、餌を求めているあたりは、昔の東海道ののどかさがうかがえます。
 浮島が原は街道沿いではなく、強引に街道から撮ったものですが、富士山は霞み、駅近くなので家が多く失敗です。


12. 「沼津 黄昏図」
   
 夕闇が迫り月も昇り始めた頃、沼津の宿に急ぐ親子連れの巡礼を描いた作品です。猿田彦(さるたひこ)の面を背にした金毘羅詣の旅人も、狩野川沿いの街道を足早に後に続きます。物の哀れの風情は、この絵を傑作の一つにしています。

 正面が狩野川ですが、左折した道が絵の道になります。市街化してそれらしいところはありませんでした。


11. 「三島 朝霧」8-06
   
 朝霧の中、三島神社の前を行く旅人の姿を見事に表現しています。駕籠(かご)に乗る人物、馬に乗る人物だけを線で描き、鳥居・人家・遠くの旅人などは線を用いず、ぼかしの濃淡だけで奥行きを出しています。板の面を巧みに生かした技法で、大変美しい仕上がりになっています。
 小雨を霧に見立てて丁度良いかと思いましたが、霞んでいないし、馬と駕籠屋の代わりに消防車になってしまいました。


 サイクリングの目的のひとつの浮世絵スポット探しですが、けっこう楽しいんです。仕方ないよなと諦めたり妥協したり、あまりに似ていて感激のあまりどこかに飛んでいってしまいそうになることがあります。

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