宿場探訪サイクリング

主に東日本の街道沿いの宿場を探訪し、浮世絵に描かれた地点探しもしています。ロードバイクでトロトロとうろついて写真を撮っています。

回想(1) 昭和40年前後 新宿⇒多摩湖

 天気の良い朝、なんとなく自転車に載りたくなる時がある。買ってもらったサイクリング車を乗り回したくてウズウズしていた。当時としては珍しいドロップハンドルと変速機、今ではママチャリより少ない3段だが、それでもこれだと上り坂が楽になるとギアを選びながら走る気分の良さは爽快感に満たされた。外装3段と内装3段どちらがいいか友達と論議したものだった。VHSかβか、RAMかRWか、WindowsかMacか、Androidかi-Phoneかのような論議はいつの世にもあるものだ。


 遅い朝食か早い昼食を終えて、さあ出発。大久保通り⇒中野通り⇒青梅街道のコースが多かったと思うが、成子坂を楽しく上がった覚えもある。武蔵野市や田無市(2001保谷市と合併して西東京市)の親戚の家近くを通った時、電車やバスで親に連れられて遠いところに来たと感じていたことが、うそのように思えた。当時はサイクリング車には長い泥除けと荷台は標準装備で、唯一の荷物である地図を荷台に縛り付けて進んだ。1964年に市制が始まったばかりの田園地帯・雑木林の東村山市の西端を越えれば多摩湖(村山貯水池)だ。
 


 土手を上り終わると西武園の遊園地になる。オトギ電車が道と平行して走る。オトギ電車とはいえ、牽引するのはトーマス風の小型で立派な蒸気機関車だったように思う。
今考えると、蒸気機関車の服を着たディーゼル機関車だったのかもしれない。いやいや、あれは絶対に蒸気機関車だ。途中から写真のようなディーゼルも見ている。


 ずっと進むとユネスコ村(2006閉園)で、山口湖(山口貯水池)に出る。小学校の遠足で来たような気がする。
 


 多くの場合、多摩湖の湖畔の草の傾斜地で、足を伸ばしてゴロリとして暫し眠ったが、時々山口湖をグルッとしたこともあった。意外に距離があるように思った。


同じ道を引き返して家に着くと
「あんなに遠くまで行ってきたの?」 と、親は呆れていた。
                                                                             (以上の写真は西武遊園地HPより)


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 当時の地図 : 最新分県地図「東京都とその周辺」    昭文社  150 円


 折り目がボロボロになった地図が本棚から見つかった。何年に作成されたのか印刷されたのかは不明だが、市名から1964.4.1~1970.7.1の地図であることは明らかになった。
田無市保谷市が合併して西東京市になっていない→→→ 2001. 1.21より前
村山町が武蔵村山市になっていない→→→→→→→→→1970.11. 3より前
大和町が東大和市になっていない→→→→→→→→→→1970.10. 1より前
久留米町が東久留米市になっていない→→→→→→→→1970.10. 1より前
清瀬町が清瀬市になっていない→→→→→→→→→→→1970.10. 1より前
福生町が福生市になっていない→→→→→→→→→→→1970. 7. 1より前
東村山町が東村山市になっている→→→→→→→→→→1964. 4. 1より後
 市制の開始からピーク(特に北多摩郡の町から市へ)を迎える直前の数年間の地図といえる。
 結局、初めて多摩湖へ行くために初めて買った地図なのだろう。私にとっては貴重な地図だったことを再発見してしまった。永久保存しておこう。


元気なうちに坂を上りきっている(坂という坂ではないが)ので、帰りが楽だった覚えがある。断面図を見ると明らかだ。
 新宿                                  多摩湖


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 実は、当時母親は買い与えて良いものかどうか、隣に住んでいたマーちゃん(赤穂市に転住)のご両親に相談に行ったようで、そのことをマーちゃんはっきり覚えていると連絡があった。これまた驚き。


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