宿場探訪サイクリング

主に東日本の街道沿いの宿場を探訪し、浮世絵に描かれた地点探しもしています。ロードバイクでトロトロとうろついて写真を撮っています。

日光街道(3日目) 小山宿⇒草加宿 2016.4.10

 足もだいぶ楽になった。今日は昨日の倍の60km走る。昨日はのんびり30kmを6時間だったので、倍のスピードで6時間の計算だ。8時出発で16時に到着できれば十分だ。夜道の走行はしたくない。ところが朝食が7時からというので朝の時間を30分無駄にしてしまった。小山はコンパクトで綺麗な町だ。間々田宿も野木宿も避難地域のようにひっそりとしている。間々田宿というと日光街道の中間地点まで来たということだ。野木宿の南木戸(野木交差点)には松並木の案内板があり芝桜で整備されているが、街道保存もしっかりしている。
 
         野木宿南木戸       


 古河宿は国道から脇に入った通りで趣のある街道筋になっている。もう一度じっくり訪れたい宿場町だ。建物確認は不十分だったが一里塚を見てほっとした。
  
    

           古河宿北木戸

 

          古河城入口茶屋

            原町一里塚


中田宿は現在の河原にあったので街道には案内板しかない。昔は渡船だったが今は高速道路の立体交差のような利根川橋が架かり、現代に引き戻されてしまうが、渡りきった土手の菜の花に癒される。栗橋宿は4号線から西の脇道だが貧しい田舎農家程度で、利根川の河川整備のために中田宿と共にだいぶ削られてしまったようだ。東北新幹線をくぐるあたりから4号線は太くなり、車が猛烈な勢いで走る。本来の利根川本流だった権現堂川の土手の桜が綺麗だ。
   

            利根川(房川)右岸

                権現堂の桜


 権現堂の広場は桜の名所だけあって近くのセブンイレブンからは視界一杯に広がっている。見事である。幸手宿も4号線からずっと西側に並んでいるが道は途切れ途切れで進めない。中間の道の県道68号線で流して4号線に合流した。直後の茨島一里塚には案内板しかない。

               権現堂の堤

            茨島一里塚には案内板


 このあたりは御成街道とも呼ばれ、飽きるほどの長い直線道路が続いている。12:30昼飯にした。おいしかった。4号線を右に分かれて373号線も直線道路が続く。暫くして左に折れてまた直線道路になるが、折れた角に御成道への道標を見つけられなかった。そして史跡がたくさんあるのに探し当てられず、やっと関口酒造の写真を撮ったくらいだ。この辺で杉戸宿が終わる。

                関口酒造


 三本木の一里塚も民家の敷地内案内板を通過してしまった。4号線と合流して暫くすると右側の広い歩道に「北緯36度地球儀」がある。以前ドライブインだったのか広い駐車場とラーメン屋がある。
 
           北緯36度地球儀


 小渕南交差点を右に入り春日部駅に向かうと小渕の一里塚があるが見逃した。粕壁宿の町はコンパクトで綺麗に整備されている。史跡めぐりコースも用意されているが、本陣等見つけにくく、草加着を急いでしまった。次回ゆっくり見て回りたい町だ。備後の一里塚は碑しか残っていない。
 
          備後の一里塚            


 一気に越ヶ谷宿へ進んだが、調子に乗って北越谷の北の元荒川の土手の桜を見逃してしまった。桜の名所で桜堤通りは晴天の日曜ならなおのこと賑わっていただろう。瓦で重そうな家は何軒もあるが店ばかりで、肝心の本陣は明治の建物になって本陣の面影は全く無いまま通り過ぎてしまった。越谷一里塚も跡形無く気が付かない。蒲生駅を過ぎたところのセブンイレブンで休憩した。その先に組んだ手に頭をつけて考え込んでいるのか泣いているのか、滅多に見られない地蔵があった。ユーモラス地蔵と名づけてパチリ。
 
          ユーモラス地蔵


 Y字交差点を左に入って進み蒲生の一里塚に着いた。埼玉県で唯一現存する一里塚なのだそうだ。
 
           蒲生の一里塚


 蒲生大橋を渡って南下すると東京外環道路をくぐった。首都圏に入った。すぐに草加松原の並木になった。綺麗に整備されジョギングする人と多くすれ違った。日本の道百選にもなっている。
 
         草加の松原


 お煎餅発祥の地のおせん公園から右に入ると草加宿だ。本陣等は見つからず草加駅に着いた。駅周辺の歩道には自転車は乗らないでくださいと書かれている。コンコースを含め、自転車を押しながら西口のコンビニで買い物をしてビジネスホテルに到着した。17時でほぼ予定通りだった。

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