回想(5-2) 昭和44年 新宿⇒房総半島一周を目指して
【2日目】
この雨の中を館山に向かうのはきついと判断し、久留里から内房に抜けることにした。完璧な一周を断念して横断することにした。何故か持ってきていた折りたたみ傘を差しながら急な山道を押し歩きした。その時になんと民宿の家族が見送ってくれた。
「気をつけるんだよ~」
こんなに丁寧にしてくれたのに民宿の住所聞かないで名前も覚えていないのが残念である。
雨は次第に小降りになり、傘も不要になった。久しぶりに自転車を漕いだ。そのうちに広い砂利道に出た。まっすぐの道で、砂利も途切れ途切れなので昨晩の雨でドロドロ道になっているところが何箇所もあった。電気もまだ取り付けられていない工事中のトンネルは真っ暗で自転車の明かりだけが頼りだった。幸にもトンネル内の道にぬかるみはない。スピードを上げて明るくして一気に通り抜けた。まだまだ砂利道やぬかるみが続く。平坦な道でもパンクを恐れて頻繁に押し歩きをした。どうにか舗装道路に出た。今、地図で調べると拡張工事中の県道297号(大多喜街道)から県道409号に出たのかもしれない。もっと西側のコースだったような気もする。どちらかははっきりわからない。木更津港に着いた時はホッとした。5年前に就航が始まったばかりの日本カーフェリーの木更津航路(川崎港 - 木更津港)を使って川崎港に向かった。70分で結ばれるカーフェリーはシーコムフェリーからマリンエキスプレスと会社が変わり、分社化して現在の宮崎カーフェリーになった。その間東京湾横断道路のアクアライン開通により1997年に木更津航路は廃止された。廃止される28年前に乗船したフェリーから見えた夕焼けがとても印象に残っている。川崎からは国道15号で都心に入り自宅に着いた。もう真っ暗であった。
単独走行・周遊コース・飛び込み素泊り・今は乗れない東京湾フェリー・フェリーを使い(分解していないけどこれも輪行)・京葉自動車道路貸切走行等々、中身の濃い強烈な思い出になったサイクリングであった。
勝浦 大多喜 木更津 川崎 新宿
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現在も東京湾フェリーが金谷港―久里浜港でフェリーが就航中だが、乗船客は少ないようでいずれは航路廃止になってしまうのだろうか。
そういえば、四国の赤字航路就航の会社が国からの助成金を受けていたが、社長が国会議員になっていて、不正支出・不正受給をして物議をかもした。
東京湾フェリーは健全経営を願いたいものである。