宿場探訪サイクリング

主に東日本の街道沿いの宿場を探訪し、浮世絵に描かれた地点探しもしています。ロードバイクでトロトロとうろついて写真を撮っています。

回想(5-1) 昭和44年 新宿⇒房総半島一周を目指して

 昭和44年といえばGDP(当時はGNP)世界2位の座について2年、世の中は活気にあふれ、日本銀行が五百円札を発行・グリーン車普通車制導入・東名高速道路全通、究極は人類初の月面着陸を果たして夢がどんどん実現していく中、安田講堂事件・大学紛争や封鎖の波が都立高校に押し寄せてきた時代である。混乱と喧騒の毎日から離れて、サイクリングで気分転換をした。もちろん以前計画をたてた房総半島一周を目指した。

【1日目】
 朝5時頃、「行ってくるねぇ」と親に声をかけて出発した。靖国通りから国道14号線を東に進んだ。日の出の太陽が正面にあり、歩道橋に書かれた町名も読めず、信号もいつ青になったかも分からないほど眩しかった。錦糸町・亀戸を過ぎて荒川を渡ると畑が多くなってきた。市川廻りだと北へ盛り上がって遠回りになるので、とにかくまっすぐに進んだ。この道で江戸川を渡ろうと快走した。だが、広くて綺麗で田畑を貫いているこの道路を走る車が一台もない。暫く走ると自動車専用道路の標識を見つけて驚き、急いで脇道に入った。できたばかりの京葉道路(有料道路・自動車専用道路)とは知らずに走っていたのだ。地図には道路が描かれておらず、とにかく東に向かって走っていた。道に迷って混乱気味。北に走って国道14号線千葉街道を探した。西船橋辺りだっただろうか一応14号線に出た。ひたすら東へ東へ千葉に向かった。右手遠くに海が見える。稲毛まで来ると小学生の遠足で潮干狩りをした浜を見ることができた。(現在この場所は綺麗な住宅街に変貌し、海岸は2~3km先になってしまった。)
 千葉駅を過ぎた頃、 東金町 ←↑→ ?? の標識を見かけて愕然とした。“ひがしかなまち”と読んでしまったからだ。金町といえば葛飾区、当時東金町という地名があったか知らないがかなりのショック。“とうがねまち”は現在の東金市。千葉駅を過ぎてどうして金町がいきなり出てくるのか。たぶん東金街道入口で、直進すれば大網街道だったのだろう。とにかく東へ進めば九十九里浜に出るはずと期待して進んだ。なんと途中で山越えがあった。千葉の山は低いとはいえ辛い。越えた時はずっと遠くに海が見えた気がする。砂漠の蜃気楼のようなものだったかもしれない。ここから浜までなんと遠いことか。浜に行っても海岸線に沿う道がちゃんとあるか不安なので、高い防風林を左に見ながら国道126号線を南下した。海岸に沿うようになるまでかなり走った。新宿周辺の道は車があふれるように走っているがここは違う。自転車1台が国道を独占している。宿は民宿飛び込みの素泊まりのつもりでいたものだから先へ先へと進んだ。いよいよ民宿を探さないといけない時間になった頃、快晴だった空にどんどん雲が垂れ込めてきて暗くなってきた。運よく民宿の看板を見かけたので玄関を叩いた。場所は勝浦である。1泊1000円で交渉成立。2食付で800~1000円だった当時としては割高だったが、雨をしのげてぐっすり眠れるだけで十分だった。
「寝るだけでいいんです。明朝5時には出発するので前払いしておきます。」
夜中かなり強い雨が屋根を打ち付けていた。



新宿            千葉    土気 大網白里           勝浦
 


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